開催日 令和6年1月6日(土)

       初詣・亀ヶ池八幡宮  10km (自由歩行)

                     注)小雨実施、飲料水・雨具をご持参下さ


集合場所
受付時間
解散場所

上矢部公園▼(JR横浜線矢部駅北口 0.2㎞ )
9時00分~9時30分    出発式なし   受付後随時出発
上溝さくら公園(JR相模線 上溝駅 0.7km) 10時30分~13時00分頃
 


コース等     上矢部公園→🚥矢部駅入口→🚥横山二丁目→🚥上溝駅前→🚥上溝→宝光寺
           →亀ヶ池八幡宮→上溝さくら公園→上溝駅



 今回は上矢部公園を出発して亀ヶ池八幡宮に向かいます。上矢部公園を出発して国道16号線矢部駅入口信号の陸橋を渡り富士見・千代田を経由して横山二丁目方面に行きます。
横山二丁目信号左折して星が丘経由上溝駅に向かいます。
 上溝中学校入口手前に毘沙門天が祀られています。上溝駅下信号を渡り商店街に福禄寿・大黒天・寿老人・弁財天と祀られ、宝光寺では恵比寿様がありますのでお立ち寄りください。その後亀ヶ池八幡宮で初詣の参拝後、上溝さくら公園でお神酒を頂きゴールとなります。マイカップを持っての参加お待ちしています。


  開催日 令和6年1月16日(火)
  
     【招福開運】 原町田七福神巡り 
      ①6km ②10km ③13km  (自由歩行)

 
                                   
                     注)小雨実施、飲料水・雨具をご持参下さ


集合場所
受付時間
解散場所
南成瀬中央公園 (JR横浜線 成瀬駅 0.3㎞)  ※トイレは駅でお願いします
9時00分~9時30分     出発式なし   受付後随時出発
①カリヨン広場(小田急町田駅東口)  10時00分~11時00分
②JR古淵駅            10時30分~12時00分
③JR淵野辺駅           11時00分~13時00分

コース等  南成瀬中央公園→七福神巡り(町田天満宮・宋保院・勝楽寺・商工会議所
         ・浄運寺・母智丘神社・カリヨン広場 ①ゴール)→町田街道→木曽中原信号
         →JR古淵駅(②ゴール) 木曽中原信号→根岸西信号→JR淵野辺駅(③ゴール)



 七難即滅七福即生とは経を読んだり神仏を信仰した功徳によって七つの災難(太陽の異変、星の異変、風害、水害、火災、旱害、盗難)がすぐに消えて七つの福(寿命、有福、人望、清簾、威光、愛敬、大量)が生まれるということ。
 「原町田七福神」は、総距離は約3㎞と極めて短く、中央商店街を通るため、行き帰りにお食事、喫茶、買い物ができるのも魅カです。今年も前年同様、配布した地図を頼りに歩く自由歩行と致します。チェックポイントは3ヵ所とし、必ずチェックを受けてください。歩き足りない人はミドルコース、ロングースを設定してありますのでお楽しみください。また、もれなく開運の「招福封じ込み亀」を差し上げます。


  開催日 令和6年1月31日(水)
  
     大和の坂道 ①8km ②12km  (自由歩行)
 
                                   
                       注)小雨実施、飲料水・雨具をご持参下さ


集合場所

受付時間
解散場所
大和駅東西プロムナード瀬谷側端(小田急/相鉄 大和駅 0.6㎞ 9分)
                      ※トイレは駅でお願いします
9時00分~9時30分     出発式なし   受付後随時出発
① 鶴間公園 10時00分~11時30分
             (田園都市線 南町田グランベリーパーク駅 0.5㎞ )
② 東林間さくら公園 10時30分~12時30分 (小田急 東林間駅 0.4㎞ )

コース等  プロムナード瀬谷側端→(本郷運動公園)→地蔵坂→銀行坂→四万(シマン)坂→
         大和橋→鶴間公園(①ゴール)→浅間神社→宮内坂→
         東林間さくら公園(②ゴール)→東林間駅



 大和市深見地区・下鶴間地区など大和市北部の13ヶ所の坂を巡ります。現在私達の生活では、身近な所でも自動車を利用して移動しています。 小さな道の名前や坂、橋などの名前、またその由来など見いだす暇(いとま)もないことがあります。「銀行坂」・「四万坂」など由来を訪ねてみませんか。(「大和市の地名」には、大和市内に所在する字名や坂地名・橋名とその由来等が紹介されています。)
 深見の一ノ関から島津へと向かう坂は四万坂と呼ばれています。ここで扇ガ谷上杉氏の家臣太田道灌の軍勢と、それをむかえ討つ深見城の軍勢、両軍合わせて四万の兵が戦ったといわれています。民俗学者柳田国男は昭和12年に深見を訪れています。その時のことを記した随筆の中でシマン坂について触れ、坂を上がって向こうが島津という字になっているから島津坂であったのだろうとし、四万(シマン)という響きからいろいろな伝説ができたのかもしれない。といっています。
 ご参加お待ちしています。